プロセス①演出家3人への質問 Question 

Q.太田省吾は舞台芸術や文学の諸ジャンルはもとより、美術、音楽、映像、建築などの分野にも幅広く深い関心を寄せています。一方、自らの創作活動との関連を念頭におきつつ、〈芸術から芸術をつくってはならない〉というエリック・サティの言葉を〈生きている場所からはじめよ〉と読み替えてもいます。こうした領域横断的な感受性、実践的な生の場へのまなざしと深くかかわる太田の仕事に対して、どのようなアプローチを考えていますか?          

                                              新里直之 近畿大学大学院総合文化研究科 修士課程/修士論文テーマ:太田省吾論

 

 

A. 相模友士郎 

 「あなたを生きる」という事に今、関心があります。二人称を生きるという事が演劇をはじめ、芸術諸ジャンルの基本的な態度だと仮定した時に、上演という時間と空間は常に二人称的な出来事が起きうる特異な場であるはずです。「わたし」が生きてあるという事実が「あなた」を生きる事によって全うできる事があるのならば、そこに演劇の可能性を改めて見出してみたい。

それが太田省吾という作家に対するアプローチとどの様に接近するかはまだ未知数ですが、まずはそこから始めたいと思います。

 

 

A. 村川拓也

 太田省吾の残した作家としての仕事(戯曲、演劇論、エッセイなど)を自分なりにまたは現代と照らし合わせて再解釈、読み替え、変換をするつもりはありません。ただ、太田省吾が世界に対峙するために持っていた視点が重要で、その視点に多く共感するところがあります。だから今回私は、その視点を彼の所持していたカメラだというふうに理解して、そのカメラを拝借して、覗き込むようにして上演作品を作ってみようと思っています。彼のカメラはフレームが普通のカメラより広いような感じがします。フレームが広いという事はそこに人間がいるとしても、その背後に広がる風景や大きな空間が否応無く写り込むわけで、「この人」とか「この物」とか言っても、広大なフレームの中ではただのひとつの構成要素にしかなりません。取捨選択して限定していくのが舞台上での出来事だとすれば、彼のカメラは結果的にそれをあざ笑うスケール感を生み出すのだと思います。また、太田省吾のカメラは、太田省吾を題材に研究や作品やなにかをやろうする人々に対しても同じように、そのスケール感でもってその人々を残酷にあざ笑おうとするでしょう。人々の中にはもちろん私もいます。太田省吾自身もそこにいたのでしょうか。たぶんいたと思います。いま、彼のカメラだけが所有者不明のまま人々の外部に残されているような気がします。そんな事は私の妄想かもしれませんが、作り手自身もろとも飲み込もうとする太田省吾のカメラ(視点)を、覚悟の上で手にする事を選択します。

 

 

A. 和田ながら 

 わたしにとって、太田省吾という人物は、もっぱら「言葉」だ。

2006年に京都に来たわたしは、ほんのひととき太田省吾の講義を受けただけで、じかに関わりを持つことはほとんどできなかった。大きな遅刻をしでかしてしまったのではないかと落ち込み、そしてそれからのわたしは、太田省吾の言葉をずっとたどりつづけているように思う。この遅刻を巻き返すためのほとんど唯一の手立てとして、残っている言葉を読んでいる。

 太田省吾の言葉は、答という形になってしまうのをぎりぎりまでこらえる、問うことそのものの運動の軌跡の記録で、それをたどるもの自らのふるまいをかえりみさせる。驚くべきことに、繰り返し繰り返し読んでもまったく近道ができない。むしろ、近道という発想を喪失してしまう体験をその都度やりなおすことになる。

 この研究会でわたしは、太田省吾の書いた台詞を、声に出したいと思っている。ある場面においては、書かれながらもついには声にしないという苛烈な選択さえありえた太田省吾の「台詞」に、わたしは憧れと同時に、憧れとおそらくは同量の、こらえがたい恥ずかしさをおぼえることがある。この恥ずかしさを、迂回もせず、抜け道を探ることもなく、それでなおどんな声がありうるか、どんな声であれば人間の「裸形」を本気で問えるのか考えることを、一歩目としたい。わたしの遅刻を繰り上げるための。